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Diaryではない何か。

Web上で淡白だったりそっけなかったりすること

(なんてタイトルだ……)


掲示板やブログのコメント欄でのコミュニケーションにおいて、あともう1往復ぐらいのやりとりは、流れとしてあってもいいかなと感じたときでもそれをやらない。
ひととおりの情報の伝達・交換が済めばそれでおしまい。


話を切り上げるタイミングを逸して、中身のない(少なくとも第三者からはそのようにしか見えない)会話が何往復も続いているコメントを見かけることはよくあるけれど、自分はそうなったことはこれまで一度もない。そうなる前にいつもこちらから終わりにしているから。
「えっ、終わりかよ」と、もしかしたら相手は思っているかもしれないし、「この辺りだよね」と共通感覚として納得してくれているかもしれない。
どちらにしても単に互いのちょっとした意識のズレのせいであり、悪気があるわけでもないのであまり気にしないようにしている。


自分には、Web上でのコミュニケーションそのものを楽しみ少しでも長く保ちたいという欲求が以前からほとんどなく、良く言えば「ちょっと余韻を残して終わるぐらい」が丁度いいと思っている。


情緒ではなく、内容(情報)で相手と繋がっていれば、相互の必要において再びアクセスは生じる。
求めるものが同じだったり、同じ方向を向いていれば、Webの道なりにまた出会うのだから。



ただ喋り続けることだけが目的のコミュニケーション(グルーミング・コミュニケーション)が広く受け入れられていることは十分知っているけれど、自分はそういう文化圏の人とはWeb上でこれまでほとんど会話をしたことがない(と思う)。
それなり棲み分けができているような気がするのだけれど実際はどうなのだろうか。



きっかけエントリー:
ブログやmixiでよく見かける「毛づくろい的コミュニケーション」
http://d.hatena.ne.jp/kanose/20060416/kedukuroi