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Diaryではない何か。

「ハイ、チーズ」

葬式で故人の写真を撮る機会があったら撮るかどうかというアンケートの結果を「人物ライブ・スタメン」で放送していた。




写真を撮る人の多くは、単にそこに被写体があり、撮るなら今しかないと思ったから半ば反射的にカメラ(多くは写メール)を取り出して写したんじゃないだろうか。そこに深い思想や思慮等はないのではないか。要するにただの記念写真。


もし棺桶の中に入っているのが自分の恋人だった人だとしたら、果たしてその顔に向かってシャッターを切れるだろうか。
写真を撮ろうとするかどうかは故人との生前の関係、心の距離によって左右されるのではないか。
近すぎては撮れないし、個人的な付き合いがなかった参列者であればそもそも撮ろうとも思わないだろう。

「友達」とか「同僚」ぐらいの関係で、悲しみをパッケージングしてしまっておけるぐらいの人たちが「思い出」としてシャッターを切れるのだと思う。


いずれにしても自分は「死に顔」を持ち帰ろうとは思わないし、その場にいる遺族の気持ちも考えず断りなくシャッターを切るなんてできない。
「弔いの新しい形」なんて言っている人たちは、遺族の意向を無視してまでもその姿を撮ろうとするのだろうか。


この傾向が続けば、近い将来「故人の顔の撮影はご遠慮ください」と書かれた立て看板が葬儀会場に置かれるのが当たり前になるかもしれない。てゆうかもう実際どっかに立ってそうな気がする。


関連URL:
Yahoo!ニュース - 毎日新聞 - <お葬式>カメラ付き携帯で最期の顔パチリ 困惑派・理解派
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060216-00000066-mai-soci