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Diaryではない何か。

はてなブックマークは誰のものか

他の人と共有できることが大きなウリの一つになっているソーシャルブックマークで思うこと。


他の人が自分のブックマークを見て役立てているということを意識し、“読者”の利便性を常に考慮しなければならないとしたら、そのことは例えば自分が普段ブックマークするエントリーのジャンルや傾向を途中から安易に変えてはいけないということになりはしないか。

自分にとって、もはや必要のなくなったエントリーを自由に消してしまうことにもプレッシャーが生じるのではないか。


“ソーシャル”である限りにおいて、また、公開している限りはそこまで考慮するのがマナーだと言い出す人がこれから実際出てきてもおかしくはない。

実際にそこまで考慮することが暗黙の了解として求められるようになっていくかどうかは現時点では分からないけれど、ある種のコミュニティの領域で今後そういう雰囲気が醸成される可能性はないとは言えないだろう。

そういう縛りを公共の利益と考え自分自身に課したいのであれば、そういう人は勝手にすればいいと思う。

ソーシャルブックマークはそこに付けられるコメントも含め、自分以外の人の閲覧をどこまで意識するかは個人の裁量に任せればいいことだ。

今現在こんなことで悩んでいる人が本当にいるかどうかは分からないけれど、取り敢えずは持ち運び自由な「どこでもブックマーク」ぐらいに考えておけばいい。


コメントについてはあくまで自分用の覚え書きであり、ことさら中傷めいたことを相手を意識して書くのでもない限り、特に気を遣って書く必要もないだろう。

あくまで自分用であり、第三者が見れる仕様になっていることを意識するかどうかも個人の問題。あるいは乱暴な意見だと思われるかもしれないが、はてブのコメントぐらいで傷つくんだったら勝手に傷ついてればいいのだ。


続・はてなブックマークは誰のものか - Faint::Diary


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