Faint::Blog

Diaryではない何か。

沈黙は「正直者」か

ネット上での詐欺被害やプライバシーの侵害等について無料で相談を受けているあるメルマガに、以下のような断り書きがある。

《《《 皆様へ 》》》》
 メルマガに記載されている相談内容は、実際の相談を元にしてはいますが、個人を特定できないように、投稿内容は大幅に修正を施しております。
(例:実際は「高校生」からの相談を、「会社員」からの相談とする。
「ブランド品売買」の相談を、「デジカメ売買」の相談とする等)
従いまして、あくまでもネット被害の参考事例としてお考え頂ければと思います。
--- ネット被害相談室における架空の設定について。
【ネット被害対策室】

ここでは事実と異なること、つまり「嘘」が文中に書かれているということを表明しているわけだが、果たしてこれは許されないことなのだろうか。
許されないことだと考える人は実際はそんなに多くはないと思うし、そういうこと以前にこれを「嘘」とは呼べないのではないかと考える人も少なくはないと思うがどうだろう。


前のエントリーで書いた

ブログの話題が社会的なものに及び、その考え(思想)が自分の仕事や職場での経験から生まれたものである場合、業務内容、職種さえ偽って書き続けたとしても全く構わないと思う

はこのような意味で書いたのだが、うまく伝わらなかったのかもしれない。


自分の文章の中に事実とは異なることを書くか書かないか、或いは事実をどの程度ぼかして表現するかというのはあくまで文章上のテクニカルな問題であり、モラルの問題とは異なるものだ。



さて、前回の「ブロガーは嘘をつく権利もある」というエントリータイトルは、あくまで「ブロガーは黙っている権利もある」というAkkyさんのエントリーに触発されて書いたものであることが分かるようにする為そのようにつけたのであり、必ずしも自分の考え、感覚を的確に表現しているものとは言い難い。
自分の気持ちは、権利があるとかないとかわざわざ主張するまでもなく、各自の判断において好きにすればよいということに尽きる。
人を陥れることが目的ではなくむしろ自分の書いた文章によって予期せぬ誰かに迷惑を掛けぬようにするための「設定の変更」であり、それを「嘘」だからダメなのだと言われたとしてもその考えを受け入れる必要はない。てゆうかそう思いたい人は勝手に自分の中でその考えを貫き通せばよろしい。


何かを書くということは、その内容によってはそれが本当であろうが嘘であろうが誰かに迷惑が及ぶ可能性は当然あるものだし、従って本当のことしか書かないのなら何を書いていいということにはもちろんならず、自分は嘘を書かないから他人の嘘(事実と異なる表現)を糾弾してもよいのだということにもならない。

それでも尚且つ嘘はダメだと言うのなら、それはもう考え方の違いでしかない。溝が埋まらないことに関して、なんら心を痛めるものではない。


「嘘は罪ではない」という部分のみに反応してそれは誤りではないかと指摘してくるのはそれはそれで一つの正しい振る舞いであるとは思うけれど、文章全体の流れを勘案して読んでもらえば、ここで言う「嘘」というのが誰かを陥れたり裏切る為の行為としてのものではないということは十分伝わると思うのだが。


あと、嘘をつくぐらいなら沈黙を選べという人もいるが、例えばある一本道をそのまま進めば落とし穴に落ちるということが分かっている時、その事を教えない(黙っている)のは嘘をつくことと同様に罪なことなんじゃないのか。
もちろんこの場合は「教える」が正しい選択。でも「嘘」か「沈黙」かどちらかの選択しかできないのなら、結局どちらも同じ結末になる。
要するに、具体的事例を持ち出さない二元論的な言葉遊びには意味はないということ。事例によっては必ずしも「沈黙」が無害であるということにはならないのだから。